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アビゲイル

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 梨木香歩さんの『りかさん』を読んでいるうちに、三浦哲郎氏の「めちろ」を思い出した。『りかさん』の「アビゲイルの巻」も「めちろ」も1927(昭和2)年の春、日米親善使節としてアメリカから日本の子供達に贈られた「青い目の人形」を主題にしている。 「青い目の人形」と云う呼び名は巷に流布した通称で、人形による親善活動を唱えたシドニー・ギューリック牧師は「友情の人形」と言ったそうだ。1860年(万延元年)生れのギューリック牧師は、1887(明治20)年に27歳で宣教師として来日する。日本での伝道活動を重ねて、1906(明治39)年には同志社で神学を教えている。離日がいつ頃だったのかは知らないが、1924(大正13)年アメリカで排日移民法が成立し、悪化し始める米日関係を憂慮した彼は日本の雛まつりに人形を贈ろうと思いたち、周囲に呼びかける。そうして善意で寄せられた一万二千七百体余りの人形は、長年の知己であった渋沢栄一が仲介の労を執って日本に送られてきた。
 「青い目の人形」と言われて直ぐに思い浮かべる野口雨情作詞・本居長世作曲の童謡「青い眼の人形」は、この親善使節人形が来航する六年も前1921(大正10)年に発表されているのだが、あたかもこの人形達の為に創られたかのように錯覚してしまう。アメリカから船便で送られてきた「友情の人形」を目にした人々は、子供も大人もきっとごく自然に「本物の青い眼の人形だ!」と思ったろう。1927年春といえば、関東大震災から三年半しか経っていない。被災した子供達にはかけがえのない贈り物だったろう。たとえそれが小学校に一つだけであっても。
 梨木さんの「アビゲイルの巻」では、米日関係の改善を願って贈られて来た人形がその願いも空しく、日米間で戦争が始まってしまうと「敵」を象徴する物として無惨に毀されるさまが描かれる。しかも子供達に竹槍で人形を突き刺すことを強要し、果ては火焙りにする……。アビゲイルを可愛がっていた少女は、この日の衝撃が原因になったかのように病死。人形の(むくろ)は少女の家に引取られ、汐汲み人形の箱に納められ、封じられる。骸の入った箱を台座に立ち続けてきた汐汲み人形は、〈りかさん〉の力でことばを得た時、こう言う。「動けば汐がかかるじゃろう。汐がかかれば切なかろう。」
 箱から取り出されたアビゲイルの亡骸(なきがら)は、片目は突き潰され片目は見開かれたまま閉じなくなり、両腕片足をもがれて黒焦げになっている。〈りかさん〉と〈ようこ〉が心を籠めて供養すると、アビゲイルは一瞬にして灰になる。
 私はこの一連の供養の場面が好きだ。汐汲みの古風な言葉遣いも好きだ。「何をする、慮外もの。」なんて言ってみたいものだ。『りかさん』の物語は魅力的なのだが、如何せん、朗読会で朗読するには長過ぎる。
 「めちろ」はアビゲイルとは対照的に、人形を毀すのを忍びなく思った誰かの手によって隠され、生き延びたエリザベスの話だ。
 「友情の人形」の殆どはアビゲイルのような憂き目に遭い、エリザベスのように難を逃れたのは、三浦氏が「めちろ」を発表した2000(平成12)年当時は百九十五体とされた。だがその後も発見が続いて2010(平成22)年には全国で三百二十体余りが残存している。戦時下の日本各地で、文部省通達に従わずそっと人形を匿った人達、遠来の人形を愛しむ心を失わなかった人達が居たのだ。
 同じ「青い目の人形」を主題にしていながら、梨木さんと三浦氏ではかき方が違う。作家が違うのだから当然と言えばそれまでだが、その相違に興味を惹かれる。女性作家の方が(むご)く破壊される人形を正面から捉えて描き、男性作家の方は破壊行為を免れ無傷でいた人形のことを書いている。この差異には、人形と云う存在に対する女性と男性の関わり方の違いが反映されているのだろうか、と考えるのだ。
 何事にも例外はあるにしても、人形遊びをするのは女の子の方が多いだろう。「友情の人形」として贈られたのは、残存する人形の写真を見る限り、観賞用の人形ではなく子供の遊び相手になる人形だ。身近な、親近感を抱く対象だからこそ、理不尽に毀される事への怒りと悲しみは深く、梨木さんの破壊を描写する文章は告発に他ならない。
 一方、三浦氏の作品では、戦後十数年経って発見されたエリザベスを熱心に世話する妻に向つて、主人公の仁作は「いい齢をして、ママゴトな。」とからかう。人形遊びをしている女の子を傍で見ている男の子の眼差し。彼女に抱かれている人形への淡い嫉妬、仄かな羨望を帯びた距たり。その手の中に抱かれている幼い自分自身を無意識に想像するから、破壊される人形のありさまを描けなくなるのではないだろうか。
 女房が元気でエリザベスを可愛がっているうちは憎まれ口を叩く仁作だが、女房が死んでしまうと、エリザベスを見守る役を引受ける。女房が好きだった麦茶を仏壇に供えるのと同じように、女房が好きだったエリザベスを傍近くで見守る。七十二年ぶりの「同窓会」から帰って来たエリザベスは、仁作からコーラを手向けられ遠く風に乗って聞こえてくるジャズを耳にして、その目に小さな光が宿る。「めちろ」だと仁作は思う。「めちろ」とは目露で涙のこと、とここで説き明かされる。
 エリザベスが眼に涙を浮かべる、というのは(まさ)しく野口雨情の「青い眼の人形」の詩に対応する。……だが、思いがけず目に泪を浮かべてしまったのは、仁作ではないだろうか。エリザベスにまつわるあれこれを思い出し、三歳で死なせてしまった一人娘を思い出し、死んだ女房を思い出し、誰も居ない月明かりの郷土資料館でうっかり泪なんか浮かべて、ドギマギしているのは仁作自身ではないか……。
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 ところで、アメリカから雛まつりに贈られた人形への答礼として、同じ年の秋には日本からクリスマスの贈り物にと、渋沢栄一が橋渡しの中心になって五十八体の市松人形を送った。数だけを見ると一万二千七百余に対して五十八では少な過ぎるように感じる。しかしその市松人形は、衣裳や箪笥などのお道具類を含めて一体につき当時の三百五十円、今に換算するとおよそ二百七十万円ほどの費用をかけて創られたものだったそうだ。中には皇室御下賜の一体もあったというが、これはこれでどこか不釣合いな気がする。失われた一万二千体を越す人形の中には、高価な観賞用の人形・ビスクドールなどもあったのだろうか。あちらでは八十年以上の歳月を経て四十四体の市松人形が今も残されているという。

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