* 芥川龍之介の舞踏会とロティの秋の日本
芥川龍之介の「舞踏会」は、ほどほどの長さ(或いは短さ)の作品なのでテキストとして持って来ら れる事が幾度かあった。 そして或る時ピエール・ロティの「秋の日本」という本を教室に持っていらした方があった。同じ教室で他の方が「舞踏会」を読んでいらしたのを聞いていて、 家に本があったのを思い出しましたと仰って。それは昭和17年という年に出された本で、当時の物不足を伺わせるように質の悪いザラザラした紙で、触れれば ホロホロとページが外れてしまいそうな、そおっと捲らないと解体してしまいそうな本であった。
それにしても、あの時代によくこんんな本が出せたものだ。英語は敵性語とされていた時代ではな かったろうか、フランス語はそうではなかったのだろうか。しかもロティの描く日本は必ずしも麗しくばかりは描かれていない。むしろ蔑視とも言える表現が少 なくない。ロティのこの本がフランスで出版されてほどなく、春陽堂から翻訳が出されている。
芥川はこの翻訳を読んだのだろうか、彼のことだから原文の本を手に入れて読んだのかもしれない。 そして「舞踏会」は「秋の日本」で描かれた「江戸の舞踏会」に対する芥川の文学的なレスポンスなのだ。さらに興味深いことは、おそらく昭和17年に「江戸 の舞踏会」を翻訳した人は当然芥川の「舞踏会」を読んでいて、その表現に依拠して翻訳したと思えることだ。
昭和17年版の後書きによれば、翻訳に携わった二人のうちの一人は翻訳途中で召集され帰らぬ人と なったらしい。戦時下にあって、どんな思いで翻訳を思い立ったのだろう。全てを翻訳しおおせないまま、どんな思いで戦地へ向かったのだろう。その人の言葉 に尽くせない思いがその本には込められていて、それが時を経て手にする私の手の中で今にも崩れそうな形であることが痛々しい。
ロティがフランスの誰彼に報告する明治の日本は、私の知らない日本だ。明治の初年は、私が何とな く思い描いていたよりもずっと西欧化が進んでいたようだ。今の日本に全自動洗濯機と洗濯板やタワシが併存しているように、西欧的なホテルや蒸気機関車や、 それこそ鹿鳴館の舞踏会などと、おすべらかしに髪を結って十二単で正装した皇族や江戸から続くなにやかやが混在していたのだ。ロティにしてもハーンにして も、日本の西欧化された部分を好ましく思わなかったようだが、その混在振りこそ現在に至るまで常に変わらぬ日本の有り様かもしれない。