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茨木のり子

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 * 茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」
 「わたしが一番きれいだったとき」を鎮魂の思いで朗読したい、と仰った方がいる。それならば、詠嘆にしてはならない。詠嘆は自己陶酔を招く。それは鎮魂から最も遠い。では、どうすべきか。人を超えたなにものかへの捧げものとして表現する時、鎮魂が成り立つのではないか。
 芸術には「聖」と「俗」がある。人はその両方を必要とする。ヨーロッパ音楽の古典に、宗教曲と世 俗曲があるのは解りやすい例になるだろう。神の存在を疑いはじめた近代ヨーロッパに触れて開国し、小さな祠に祀ってあった御神体の石を、つまらぬ石ころと 見なして打捨てた福沢諭吉を近代化の祖とした現代日本は、芸術における「聖」を忘れて久しい。
 「わたしが一番きれいだったとき」を鎮魂の音声表現にしようとする時、問題なのはこの詩の言葉が そのような聖性を持っているかどうかだ。私にはそうは思えない。この詩が先の戦争を指して書かれているから、挙手の礼をして美しい眼差しだけを残して逝っ た若者を書いているから、その散らされた命への鎮魂として読みたいという気持ちは理解するが、それだけでは自己愛に堕してしまう。
 せめて、怒りをもって表現してほしい。強い悲しみが変じた怒りを表現して欲しい。今もなお世界の 何処かで「一番きれいなとき」を戦時下にあって、心通わすひとと思いを込めた別れの眼差しを交わすことしか出来ずにいる娘達が、若者達がいる、そのことへ の悲しみと憤りとを込めて表現されるならば、鎮魂の役割を担い得るかもしれない。然し第五連から最終連にかけて、この詩に表れているのは失われた他者の命 への鎮魂であるより「私」を中心にした回顧と願望、些かの諧謔を含んだ回顧と願望だ。そして他者に向けてそのことの同意を求めている。私は、そこに失われ たものへの鎮魂や祈りを感じられない。
 分かりやすい言葉で書かれた女性の手になる現代詩で、先の戦争の「いたみ」(痛みであり悼みであ るもの)を描いた詩としてならば、私は高田敏子の「盧溝橋」「別の名」「失ったものについて」などを薦めたい。それらの詩には、個人の極めて私的な体験を 元にしながら人間性の普遍へと展開する詩人の眼差しが感じられる。戦争への声高ではない抗議、悲しみと痛み、被害者であると同時に加害の側に在る自覚が感 じられる。

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