『
『鹿踊りのはじまり』を稽古中、「太陽が青ざめてぎらぎら光る」というのが分からない。何だか気になる、引っ掛かると思いながら稽古を進めていた。
ところが、或る生徒さんが山折哲夫氏の『こころの作法』の一部分をテキストに使いたいと仰有るので、私も目を通しておかねばならず、読み始めて驚いた。「はしがき」で『阿弥陀経』について書かれている。それによれば『阿弥陀経』には
「
『鹿踊りのはじまり』では、青ざめてぎらぎらして榛(はん)の木の梢を妖しく青く光らせた太陽は、やがて少し黄色に輝く。そして薄の原は一面に白い火のように光っている。鹿達が逃げ去った跡は水脈(みお)のようであり、その後を嘉十は西の方へ歩いてゆく。さらに、この話全体は、夕日が赤く射している野原で透通った秋の風から聞いたことになっている。
これは、鹿達は彼岸へ渡り、嘉十も西方浄土を目指して往くという事だろうか。青い光、黄ろい光、白い光に荘厳されて真っ直ぐに立っている黒金のような榛の木は、阿弥陀如来の影だろうか。風に聞いたというのは「如是我聞」に違いない。
宮澤賢治の内面世界では、青く光る太陽が必要だったのだ。